千羽鶴、という文化が日本にはある。
なんでも折り紙で鶴を千羽折ることで平和だったりの祈願になるとか(別に知ってるけど)
中学生の時の話。
中3の修学旅行が沖縄だった。
沖縄は太平洋戦争中に地上戦が行われ、甚大な被害が出た場所である。
そのため、平和祈願ということで学年みんなで千羽鶴を折ることになった。
恥ずかしながらぼくはこれまで折り紙で鶴を折ったことが無かった。なので折り方が分からなかった。
一応説明は受けるものの、あまりに不器用なのでまぁ折れない。
確か授業一コマ分使って、全部のクラスで1人10羽ずつ折っていこうってことだったと思う。
しかしぼくは他の人より明らかに鶴を折るスピードが遅い。
周りを見てみる。
みんなスムーズに折っている。
しかし、その中でも異常に折るのが早い人達がいた。
広島、長崎、沖縄出身の人達である。
日本全国から生徒が集まる学校だったため、こういうことも起こるのだ。
ぼくの隣の席の人が広島出身で、ぼくの鶴を折るスピードの遅さを見て、
「お前折るの遅すぎ、手伝ってやるよ」と一言。
彼はもうとうに10羽折り終えて暇そうだった。
なので手伝ってもらうことにした。
広島、長崎、沖縄。
手伝ってもらいながら、その3つの県の名前を頭の中で繰り返した。
広島・長崎は原爆が落とされた場所。
そして沖縄はさっきも言った地上戦が起きた場所。
日本のどの都道府県よりもきっと平和への祈りが強い県であろうと思われる。
やはりこの3県の出身の人は小さい頃から決まった時期に毎年千羽鶴を折ってきたから千羽鶴をおることに慣れているのだろう。
テレビ越しにしか見てこなかった平和を祈念する式典を妙なタイミングで実感したような気がして少し不思議な気分になったのをぼくは覚えてる。
気づいたらチャイムが鳴った。
ぼくの机の上には不格好な折り鶴が4羽。
50分の授業一コマで4羽しか折れなかった。
かたや一方で隣の友人はぼくが達成できなかった1人10羽のノルマの残りの6羽もきれいに折り終えていた。
普段は不器用な彼だが、この時は何だかスゴい人のように見えた。
この折り鶴の差が今まで平和をどれだけ願ってきたかの差を示してるような気がして悲しくなった。
もうこの時から5、6年経つ。
まだ鶴は折れない。
不器用だから、ってことにしておこう。